ボストン美術館より招聘

1990年10月13~15日の3日に亙り、ボストン美衝館よりの招碑を受け、雅楽部は雅楽と 伎楽の公演を行った。これを第8回の海外公演として、橋本武人顧問を団長に、部員 36名、他随行を含めて43名(途中参加2名)が、9日から18日(航空機の都合 で天理へは19日に帰着)の間、公演旅行を行った。
日本のものはもとより東洋美術の一大宝庫で伎楽が演技された。
以下はその時の雅楽部の報告です。

第8回海外公演「ボストンに出会う」

公演の経緯

 「ボストン美術館で公演を」との話を頂いたのは、一昨年の12月のことであった。 東大寺昭和大修理落慶法要に際して復元公演された伎楽の企画推進者であったNHK の堀田謹吾氏からのお話である。ボストン美術館東洋部門開設百周年を記念して特別展を開催する準備が進められており、そのオープニングに伎楽を演じて欲しいというものであった。収蔵品の質の高さでは世界に知られ、殊に日本美術のコレクションでは、他に類をみない程優れた品を沢山保有していることで有名な美術館での公演など、 思っても見ないことであったから、本当ならば光栄の至りである。
 しかし部としては第8回目の海外公演を、これまで要請があってもなかなか実現できなかった、ア メリカ西海岸北部にて行うべく準備を進めていたところであり、経済的に年に二回も の海外公演はとても無理であったから、二つ返事で受けられなかった。しかも公演 の目が十月十五日では、大学の学期内である。
 2月の大阪公演に、ボストン美術館日本代表の小川盛弘氏が、3月の東京公演には、 副館長のモア・J・ゴールデン氏御夫妻並びに、東洋部長の呉同氏御夫妻が来臨されて、伎楽と雅楽を鑑賞、美術館側の熱意のはどが感じられた。
 6月に、アラン・シエ スタック館長より、大久保学長宛の正式招碑状が届いた。部として検討の結果、学校 側の許可が出れば招請をお受けし、アメリカ西海岸北部の演奏旅行は延期、この公演を第8回の海外公演とすることにした。大学側も真剣に取り上げてくれ理事会、部長会で認められ、9月の教授会で正式に認可がおりた。
 9月13日、小川代表、堀田氏、伎楽の装束を作られた吉岡常雄先生の後継者幸雄氏が天理に来られ、最終的な打合せを行う。この時、当方としては、折角でかけるのであるから、6年前、第5回公演で演奏したニューヨークやボストンの公共図書館、ハーバード大学での再演を計画、 現地との交渉を進めていた。
 ところが、美術館としては、美術館以外での公演は、15 日以降でないと困るとのことで、やむなくキャンセルすることになった。
 招請といっても、一銭の経費が出るわけではなく、なにかと制約の多い今回の公演 であるが、雅楽部をして敢えて出掛けようとさせるものは、先年お亡くなりになった、 伎楽の装束を復元された吉岡常雄先生の思いと、伎楽を我が子のように、その成長を 願う堀田氏の熱意に負うところがおおきい。
 とにかく今回も、教内外の多くの方の真心を頂いて、日本を飛び立っことができた。

ニューヨークにて

定期公演の練習に加え、ボストン公演の練習と、手がけている青海彼の装束の調製に時間をかける毎日。
 10月7、8日と合宿して、愈々9日の朝出発。同日ニュー ヨーク着である。 天理教ニューヨークセンター の奥井所長の出迎えを受け、マジソンスクェアガーデンの真向かいにあるぺンタホテルへ入る。翌日、バスにて市内見学。夜、センター主催BBQパーティに出席、各管一名が残ってセンターの雅楽部員と練習を行う。 
 11日、 明年発足予定の天理文化協会のビルにて舞楽を練習。夜、43番街にあるタウンホー ルにて、ニューヨーカークラブの発会式にてセンターの雅楽会のお手伝いで、太平楽 を披露する。これには、ディキンズNY市長も出席、鑑賞される。
 12日、バスにてボストンヘ移動。ボストンヘ近づくにつれ紅葉が一段と彩りを鮮やかにし、旅情をかきたててくれる。ニューヨーク市内を出るのに渋滞で時間がかかり、夕刻に美術館に着く。早くから取材に来られていた堀田氏と、前回のボストン公 演の時にもお世話になった山中忠郎氏の出迎えを受け、会場の下見。当初、着替えの 場所がないので、ホテルで着替えをするという予定であったが、セミナールームが使 えることになる。ボストンのホテル・ラディソンは、美術館より18マイル離れたところにあり、足の便が悪い。ここで、今夏よりインディアナ大学へ留学中の、東條さ んと合流。15日まで行動を共にする。滞在中は、NHK差し回しのバスで移動とな る。

雅楽を演ずる

13日午後1時より、美術館のオーディトリアムにて管絃「海青楽」、舞楽「太平 楽」を披露。450席を埋めた観客の反応に、先ずは一安心。日本代表の小川氏も 「これはいい」と感嘆。NHK専属の大村氏やAFPのプロカメラマンに混じり、同行の道友社の増野、八田、橋本の三氏が、取材に大活躍。14日も同じく午後1時よ り呉同東洋部長の司会のもと舞楽「蘇志摩利」「青海波」を演じた。観客の中には、 6年前の演奏を聴いて下さった方も多く、UCLAの東儀先生の娘さんやお弟子さん のアラワナさんも来られ、旧交を温めた。中には、ハッピを着た婦人が「アイ アム   テンリキョウ」と言って会場に入られた方があり、お尋ねすると、お名前はグレゴ リーさんと仰り、40年前に京都に住み、御主人と天理教二代真柱様と親交があったとの事。 とにかく、通常の舞台に比して半分のところでの舞は、卿か窮屈ではあったが、観客の満足を得ることができたのは、なによりであった。

伎楽を演ずる

15日、愈々美術館東洋部開設百周年のセレモニーの日である。橋本団長が所用の ため一足先に帰国、心を引き締めて会場へ。着替えのセミナールームは、吉岡先生を初め吉岡工房の方が着付けのために来られて賑やかなムード。

午後1時半より、中庭 にてリハーサルを兼ねたNHK用のビデオ撮り。ハリケーンー過の澄み渡ったボスト ンの青空に、笛、腰鼓、ドラが鳴り響き、治道を先頭に楽隊、呉公と続く。芝祐靖先 生の曲は流石に素晴らしく、ここにもマッチする。セレモニーの行われるグンド・ ギャラリーの前の廊下とオウディトリアムで一通りのリハーサルをして休憩。いつも なら休館日の月曜は、静まりかえっているであろう美術館も、本番を控え慌ただしく人が動く。警備も一層厳重で、要所要所にガードマンが配置され、外出も許されない。

  時間が近づくと、ブラックタイ、ロングドレスに身を包んだ紳士淑女が続々と集まる。グンド・ギャラリーには紫宸殿のパネル写真が正面に掲げられ、赤のテープの仕切りの前に演説台が置かれている。準備が整い午後5時半、スタート。伎楽の行道の 始まりである。取り澄ました顔、おどけた顔、異形の仮面達が、式典のオープニング を飾る。スピーチの最初に立ったジョージ・パットナム理事長は、冒頭を天理大学雅楽部による伎楽の演技に対しての感謝で始めた。続いてシエスタック館長、日本側 から川村恒明文化庁長官が祝辞を述べ、法眼総領事が中山太郎外務大臣の祝文を代読して、テープカットとなった。
 特別展専用のグンド・ギャラリーには、日本からの 11点の国宝を初め、60点の文化財が整然と展示されている。中には、雅楽人ならば一度は本物を見たいと思う、俵屋宗達の作品「舞楽図屏風」(醍醐寺所蔵)も展示 されている。この絵が、展覧会の豪華カタログの表紙を飾っている。
 一緒に見て回っ た呉同東洋部長に、『この絵の展示を私共に知らせていて下されば、屏風に描かれて いる「採桑老」を除いて「崑崙八仙、還城楽、蘭陵王、納曽利」の舞楽を披露する ことができましたのに』と申し上げると、『それ残念なことをした。ところで採桑老 の舞を舞った人は死ぬといわれていますが、何故ですか』と雅楽通のならではの質問。
  7時半、オーディトリアムは、立見も出る満員の盛況。シエスタック館長の歓迎の 挨拶の後、伎楽の本番である。次々と演じられるユーモラスな演技に、会場が笑いに包まれる。獅子が呉公の与えた牡丹の花で和むという、東儀和太郎先生の振り付けで 演技が終わり、行道で退場すると、会場は拍手の嵐である。呉同東洋部長が、感謝の挨拶をして、佐藤副団長に花束が渡される。雅楽部からは、お土産に持参した手作りの納曽利面を贈る。箱から面を取り出した呉部長は、面を被り舞う真似をして観客から、笑いと拍手を受け終始和やかな裡に無事公演を終了することができた。
  学生達は、装束を着たままレセプション会場に出席、人々の注目と質問攻めにあっていた。佐藤副団長は、日本の屏風の間で開かれたディナーパーティに出席、交流の 輪を広げた。
 16日一日はフリータイムで、それぞれボストン市内の観光に出掛けるもの、買物に出掛けるものなど、大役を終えてホッとした気分。夜には、多くのものが小沢征爾指揮によるボストン交響楽団の演奏を楽しんだ。この日は、丁度2日前に亡くなった、 巨匠バーンシュタインの追悼の会となり、プログラム外にマーラーの第5が特別演奏され、小沢の迫真の指揮と、それに応えて演奏する楽団員の姿に痛く感銘、我々も一 層の精進を重ね、人々に感銘を与える演奏を目指して頑張りたいと心に決して、ボス トンを後にした。
今回もまた、学校当局を初め、多くの方々の暖かい御援助を賜り、無事公演をすることができました。この誌上を以て、厚く御礼申し上げる次第です。誠に有り難うございました。