’81の「雅楽と伎楽」のパンフレットにある、天理大学雅楽部のコメント
伎楽公演にあたって
1980年10月17日、雅楽部は、東大寺昭和大修理落 慶法要に、NHKの依嘱を受け、伎楽を演じさせ て頂きました。当日の模様は、TVをほじめ、ラ ジオ、新開などを通じて全国に報道されました。
使われました面、装束等は、使用後東大寺へ奉納されたのですが、このたび、東大寺ならびに伎楽の復元に御尽力されたNHKをはじめ、装束、面等を調整された吉岡先生、舞を振付けられた東儀先生、曲をつけられた芝先生、制作協力の小泉先生、笠置先生等の御好意により、第12回定期演奏会に続き再びこの第6回東京公演でも演じさせて頂くことになりました。
伝来と消失
伎楽については、紹介書もまとまった研究書もなく、古文書や正倉院に御物として残る面、装束 に断片的にしか知る辛ができません。
「日本書紀」 推古天皇の20年(西暦612年)の記事に、百済の 味摩之が大和の桜井に少年を集めて伎楽を伝習せしめたとあり、雅楽の主流となります唐楽より百年近く早く我国へ伝えられたことになります。伝来以来、仏事には欠かせないものとして、また、 人々のよき娯楽として受容されていました。
今日の「娯楽」という漢字の起源こそ伎楽が呉楽(く れのうたまい)といわれるところからもわかりますし、その内容と受け入れられていた様子が伺えます。
しかし、時代の流れとともに新しい大陸文 化の伝来とその日本化の過程の中から、次第に伎 楽は姿を歴史の中から消していきました。記録によりますと、奈良の諸寺でほ明治の初年までつとめられたとありますが、その内容ほ、天平や平安のそれとは似ても非なるものになっていたようで す。
7年程前より、NHKは、天平に溯って伎楽を たずね、今に復元するという企画をたてられ、関係各方面の協力を得てめでたくこのたび実現する運びとなったのです。
天平の時、実際にどうであ ったかは、全く知る由もありませんが、一寸した 手掛りを見付けては事を進めるという努力が積み重ねられ、今日の姿をみるにいたったのです。
構成について
伎楽は「行道」に始まり「行道」に終る仮面無 言劇ともいえます。一貫した筋があるようにもみ えますが、一つ一つの演技があって、前の演技が 次の演技につないで終るといった風でもあります。
「博雅笛譜」や「懐中譜」などから推測すると、 後者の色彩が強く、一つ一つの演技ごとに曲が用意され、全部演ずるには結構長い時間を必要としたものと考えられます。
しかし「教訓抄」などに は、その中の特徴的な演技しか記されていないた め、席単な所作だけがあったとする考えもあります。
今回復元された曲は「行道」「師子」「呉公 (破・急)」「曲子」の四曲です。
かつては沿道、 師子、呉公、呉女、金剛、迦楼羅、足音、力士、 婆羅門、大孤、酔胡王と幾人かの従者がついて演 技したものとみられ、9種の楽曲があったことも知られています。今回は、時間の関係などもあっ て、行道から舞台に上りそれぞれ簡単で特徴的な演技をして下るという方法をとります。
簡単に進行を説明しますと、先頭は治道で、これは道案内、露払いの役です。庇持、楽隊(笛、 腰鼓、銅拍子、鉦盤)が続きます。
その後へ師子 から酔胡王とその従者までが続きます。舞台では、 治道が師子を呼びます。師子児は必死に師子を引 張りますが、師子は舞台に上ろうとしません。仕方なく、治道は呉公の登場を促します。呉公は舞 台で笛を吹き、次いで上る迦楼羅は土中の毒虫を食べる振りをします。次が呉女と呉女従の登場で す。呉女に恋慕する崑崙も舞台へ、かつてはかな り卑猥な所作をしたとあります。
しかし崑崙の恋故の悪戯も、金剛と力士によって砕かれ、追い払われてしまいます。次いで婆羅門が現われ襁褓( おしめ)を洗う振りをします。次いで大孤父は大孤児に付き添われて登場、敬虔な信者の様子と親 孝行の姿を表現します。次が酔胡王とその従者達 です。舞台の上で宴会を始め、酔っては歌い踊ります。
この騒ぎに舞台の下で寝ていた師子は目覚め、舞台に上って暴れます。師子児の手におえず、 呉公もあがって止めますが、呉公の威光をもってしてもー向におさまりそうにありません。まさに 獅子奮迅です。
そこで呉公の要請により、曲芸師が幡を投げます。呉公は師子に幡をつけるがまだ おさまらず、今度は牡丹を要請します。
師子ほ舞 台に投げられた牡丹をみることにより、やっとお となしくなり、舞台上での演技は全て終り、帰りの行道となります。
復元のために
私共雅楽部ほ、晴れの舞台で演じさせて頂きましたが、私共は、ただ作りあげられたものを演ずるだけ、いささかの苦も努力もありません。そこまで完成に導かれた人々の努力ほ、想像に絶するものがあります。
NHKの今回の総ディレクターである堀田先生から依頼を受けてより、芝先生の笛や打物の指導東儀先生の舞の指導を経て、定期演奏会の練習と兼ねて伎楽の練習を重ね、ドライリハーサルで東大寺の舞台を始めて潜みれた。そして衣装合わせで初めて面をつけ素精しく仕立てあげられた装束も着せて頂きました。
この装束を調整された大阪芸大の吉岡先生をはじめ、吉岡工房、芸大の学生さん、そして朝日カルチャーで学ばれる奥様方 のご努力には頭が下がります。リハーサルや本番当日には、部員を我が子のようにお世話くだされる姿には、本当に感激したものです。
これらの方々の努力の上にたってはじめて、私共は伎楽を演じさせて頂くことができれた。そ れに此して私共の拙い演技ではありますが、どうか最後までお楽しみ下さい。(S)